エムイー・ボックスとしてのスタンス【後編】

―――非常時だからこそ、アート教育は手放さない―――

 

学校は始まったものの、教育現場では今も混乱状態が続いています。子どもの学習環境を確保するのは大事なことですが、肝心の学習内容までしっかり議論されての再開なのでしょうか。コロナウ イルスの出現によって、私たちの日常は大きく変化しつつあります。「どのような対応が正解なのか わからない」=「解答のない問題」に直面しているわけです。従来のような、予め決められた答え に辿り着くためだけの思考力では太刀打ちできない時代になっています。変化の激しい社会の中で 想像力を持って新しいことを試し、失敗しては学び、また挑戦して社会の課題を解決できるような若者が求められています。

 

特にこれからの子どもには、ある問題に対して学んだ知識をつなぎ合わせ、新たな答えを創り出す テクニックが必要になってきます。思い描いた未来を実現するために自ら課題を見つけ、考え、自 ら学び、解決方法を探る創造力が重要視されるだけでなく、立場や価値観が違う他者とも協調しながら問題解決ができるコミュニケーション能力も必要です。例えば、自ら見つけ出した日本社会に 潜む問題に対し、海外の人と協力しながら、数学と科学の知識を駆使して得た解決策を、日本人に説得力あるかたちで提示していく、というようなことですね。総合的な能力が求められます。

 

それでは予測不可能なこれからの時代、本当に頼りになるものは何でしょう。アートの視点から考えてみることにします。コロナ後の社会では、見えないこと、わからないことにアプローチできる 思考(アートシンキング)がこれまで以上に求められます。自分にとってなにが見えていないのか、 見えていない世界はこうなっているのではないか、みんなが芸術家になるわけじゃないですが、見えないからあきらめるのではなく、見えないものを見ようとすることで人生はより豊かになるからです。アートの魅力はさまざまな問題を提起してくれるところです。私が常々、学校の勉強と塾が最優先ではダメ、アートを甘く見ないでほしいと皆さんにお伝えしているのは、この「見えないものを見るテクニック」を掴み取ってほしいからです。

 

私がこの度のコロナ禍でまかり通っているルールや医療従事者への評価基準がおかしいと判断するのもアートの視点からです。イタリアでは、コロナ感染者の臨終に立ち会う神父が数多く感染死す るなか、現ローマ教皇は「患者のもとに行く勇気を持ちなさい」と世界中の聖職者に呼びかけました。もちろん慰労金や危険手当の話はどこからも聞こえてきません。トップとしての存在感の違いと言ってしまえばそれまでですが、日本の指導者からは決して発せられない言葉だと思います。コロナ対応で国民の信頼を高めたドイツのメルケル首相もそうですが、今回の危機的状況下では真のエリートとしての底力を見せつけられました。この、欧米と日本を隔てる指導者としての人間力の差はどこからくるものなのでしょうか。私は欧米の指導者が持つ人間的な魅力や他者への深い理解は、アート教育によって養われているような気がしてなりません。じつのところ、先進国ではアー トは教育の基盤として重要視されているのに対し、日本では学問とアートが切り離されています。 アート教育が学問や人格形成の生命線であることに気づいていないとしたら、本当にもったいない ことだと思います。

 

わが国のアート教育は欧米の教育システムをモデルに明治期に設立されたものです。欧米では"学問はアートの一部"として体系づけられています。ところがあろうことか言語や文化の違いから、日本に導入する際にアートと学問が分離してしまいました。日本でアートといえば、芸術や美術だけの意味で使われているようです。しかし、本来はアニメ、建築、映画や劇、デザイン、折り紙や料理、 文学も漫画も、人間がつくり出すあらゆるものが、私たちの心の中にある何かわからないもの、言葉にならないものとリンクしたとき、命が吹き込まれアートになります。サイエンスでは説明しきれない、数字やデータ、論理だけでは導き出せないのがアートの領域です。

 

エムイー・ボックスでは、与えられた練習問題を大量に消化させる受験中心の詰め込み教育とは対極にある、アート思考に基づいたカリキュラムを実施しています。アート思考は、偏差値のようにちょこっと頑張って鍛えられるものではなく、学校や塾の勉強のように頭で理解しただけでは完結しないものです。その習得には、小手先のテクニックやその場限りの誤魔化しは何の役にも立ちま せん。体系的な知識や知恵を獲得する過程で紡ぎ出されるものの見方や考え方、価値観をひっくるめたものだからです。学んだ知識、身体活動、五感、思想、哲学などの要素が複合的に作用するこ とで成り立つ世界です。感性と美意識、体力や精神力、異なる意見や価値観を受け入れられる柔軟性、品性や品格などを含めた総体的なもの、それがアートです。私がいつも皆さんに、ただ指を動かしてショパンのワルツを弾くことそのものが音楽ではない、とお話しするのはこのような理由か らです。

 

先行きが見えないこれからの時代に学びの環境をどう確保するのかは、国でも学校でもなく、私たち一人ひとりに委ねられています。もう学校は頼りにならないからと、オンラインの教育サービス に移行している方もおられます。当教室では、学校と塾が過大評価され、ダブルスクールが当たり前になっているおかしな時代に屈することなく、アート教育の重要性をこれまで通り伝えていきま す。オンラインでは限界があるため、できる限り対面でのレッスンを実施したいと考えています。 引き続き保護者の皆様のご理解ご協力のほど宜しくお願いします。当教室に対するご要望やご質問 などございましたらお気軽にご連絡ください。

エムイー・ボックス代表 松永